♪死にたいとかごめんとか最初にダメだって言い始めたのは誰なのかしら

ときどきべらべら喋っているが、ぼくはものごころついたころから希死念慮にとらわれていて自己肯定意識もゼロだった。自己肯定感のなさは学生時代に「おまえそのすぐ”ごめん”て言うのやめろよ」と先輩にキレられて初めて気づいた。希死念慮は、あること自体がおかしいということに気づいたのはかなり長じてからのことだった。

でもねえ・・・「死にたい」とか「ぼくはだめだ」とか、どうして言っちゃダメなんだろう。感じることは止められなくて、頭の中を渦巻いてる。病的症状だということを措けば、「たのしい」とか「かなしい」とおなじ感情じゃないか。などと思う。

むしろそういう感情を抱いたことがないって、どうなんだろう。たかだかひとことフッと「ごめんなさい」って漏らしたとき、まったく親しくない先輩がキレたのには本当にびっくりした。彼は・・・弱い立場になっておびえて謝るしかない経験をしたことがなかったんじゃないだろうか。そういう上位スクールカーストの出身者なら、たしかにキレた理由も推測できる。

あるいは「死にたいなんて言ったら親しい人を悲しませるから」という主張もあるだろう。ぼくも彼女の前ではなるべくことばにしないようにがんばっている。でも、親しいひとにすら希死念慮を抱いていることを理解してもらえてなかったら、たぶんその人はそのまま自殺に一直線だ。

もっとつらさを吐露できる世界であってほしいと思う。日本には告解の文化がないから、それも影響しているかもしれない。でも、たとえそれが歪んだ認知による感情だったとしても、正確にことばにして向き合わなくちゃ自分を救えないじゃない。

ぼくはだから、毎日あいかわらず死にたいと思ってるし、ダメな自分になんの自信も感じない。

Google MapsとGPS組み合わせて、

  • 現在位置から「死にたい」バルーンを発射できる
  • ポジティブな単語を選んでバルーンを撃墜すると得点になりつつ、バルーン発射ユーザーに単語が届く

というゲームを以前思いついたが、プレイヤーに与えるリワードが少なすぎてゲームデザインが成立しないので作るのやめた。